かつて『選択性緘黙症』と診断された私

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現在の私

私は今、ヨガインストラクターと整体師をしています。

人と関わるのが大好きで、にぎやかに楽しく過ごすことが私にとって何よりの幸せなんです。

人を元気づける仕事にやりがいを感じています。

今の仕事はまさに天職だと思っています。

また、バリ島には30年以上前に初めて訪れて以来、すっかり魅了され、ここ3年ほどは度々1~2ヶ月ほどの滞在を繰り返しています。

将来はバリ島に移住する準備も進めていました。

ところが、2023年の秋、乳がんが再発してしまいました。

現在、抗がん剤治療を受けているため、自由にバリで過ごすことが難しくなっています。

がんは全身に転移しており、治すことはできないと言われていますが、私は「最後まで自分らしく過ごしたい」と先生にお願いして、進行を遅らせる治療を続けています。

どれくらい生きられるかは、あえて先生に聞かないことにしています。その方が残された時間を楽しく過ごせると考えたからです。

最近の変化

仕事を減らしたことで時間ができ、これまでの人生を振り返ることが増えました。

病気の原因や自分の過去について改めて考えると、なんだか心がすっきりしてくるのを感じます。

頭の中が整理されて、自分の過去がまるで他人のことのように思えるのです。「随分と苦労したんだなぁ」と、思わず自分に声をかけたくなるほどです。

そんな中、最近、自分の過去について話す機会がありました。

今まで、病気や過去の苦しみについて話すことはなく、私はいつも明るく楽しい話を好んでいました。

「自分の過去は封印しておこう」と決めていたくらいです。

しかし、興味を持ってくれた人たちに話すと、皆さんが真剣に耳を傾けてくれました。

その結果、自分の中で変化が起こったのです。長年、恥ずかしくて重苦しく感じていた思いが、スッと軽くなったのです。

「もっとすっきりしたい!」と思い、ブログを始めることにしました。

自分のためだけでなく、同じような悩みを抱えている人や、その家族の理解に役立つことができれば幸せです。

それが私にとっての「生きた証」になれば、なお嬉しいです。

選択性緘黙症だった過去について

さて、本題に入りますが、私は子供の頃、『選択性緘黙症』という精神疾患を抱えていました。これは、特定の場面や相手と話すことができなくなる疾患です。

治療や成長とともに自然に治ることもあるそうです。

私も、物心がついてから15歳くらいまでこの症状を抱えていたと思いますが、振り返ってみると、本当にそんなに長く患っていたのか疑問です。

おそらく、もっと早い段階で症状は治まっていて、その後は「疾患を演じていた」のだと感じています。

今では、そんな症状は全く感じません。人と関わるのが大好きで、接客業も得意ですし、人前で話すことも好きです。当時、なぜ「疾患を演じる」ことになり、その結果、人生にどんな影響があったのか、今は冷静に振り返り、答えが見えてきた気がします。

この疾患を患った原因として、私は両親の影響が大きかったと考えています。

父は自閉症、母はADHDの発達障害を持っていたのです。

遺伝的な要因と、そんな両親の教育が、私の症状に影響を与えたのだと思います。

幼い頃、私は「挨拶」や「礼儀」についてほとんど教わることがありませんでした。

他人との関わり方を知らず、社会に馴染むことが難しかったのです。母はいつも初対面の人に「この子は変わった子なんです」と私を紹介していました。

その言葉を聞くたびに、私は「喋らない変わった子」としてのスイッチが入ってしまい、他人と接するのが恐怖になっていったのです。

当時は、この症状がその後の人生にこんなにも影響を与えるとは思いもしませんでした。

しかし、「他人は恐怖」でしかなかった私が紆余曲折しながらも「選択性緘黙症」をバネにして今の自分を手に入れた過程をお伝えしていきたいと思っています!

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