『選択性緘黙症』をいつまで続ける?

この記事には広告を含む場合があります。

記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。

人間観察をする日々

小学校や中学校の毎日は、学校で過ごす時間がただただ「早く帰りたい!」って感じでした。

クラスには他にも無口で目立たない子がいて、やっぱりそういう子はよくいじめのターゲットになってました。

私の場合、露骨にいじめられるというより、誰にも気づかれないような地味で陰湿ないじめが多かったんです。

つねられたり、二人きりの時だけ暴言を吐かれたり…そんな感じで、私が反応しないのをいいことに、ストレス発散にされてたのかもしれません。

それでも私は淡々とそれを受け止めて、周りの人間を毎日観察していました。

そのおかげで、当時から人間の本質みたいなものを学んでいたとも言えます。

先生の前では優等生のふりをしているのに、裏では私に悪魔みたいな態度を取る子もいました。

また、私に優しくすることで自分もいじめられる可能性があるからと、こっそり励ましてくれる子がいたりと様々です。

そういう世界を早くから見てきたんです。

今振り返ると、この経験があったおかげで、人の本質を見抜く力がついたと思います。

そして今では、その力がヨガや整体の仕事でもすごく役立っています。

迷いながらも現状維持

中学校では「マネキン」ってあだ名をつけられてました。

もちろん褒めてるわけじゃなくて、「動かない・喋らないからマネキン」ってことですね。

でもこの頃には、選択性緘黙症はほぼ治っていたと思います。

ただ、あえて「症状を演じてた」っていうのが正しいかもしれません。

本当はみんなと楽しく話したかったけど、急に喋り出したり動いたりして周りにびっくりされるのが怖くて、選択性緘黙症を演じてたんです、多分。

いじめっ子に対しては、「いつか見返してやる!」って気持ちも芽生えてました。

「助けて!」を言えなくて

そんな中で親の判断で心療内科に通うことになりました。

毎週火曜日の6時間目を早退して、横浜の病院で1時間ほど治療を受けてましたが、当時の私はそれを「馬鹿らしい」と思ってました。

でも、学校にいるよりは、、と思って通ってました。

今になって振り返ると、「病気を演じてる」なんて、貴重な中学校の3年間をなんて無駄に過ごしてしまったんだろうって思います。

でも当時は、見えてる世界がすべてだったんです。

逃げるなんて考えられなかったけど、今考えるといくらでも逃げ道はあったはずです。

親以外の大人や、学校以外の友達(近所に同世代の子がいました)とか、病院の先生に相談してたら、もっと早く抜け出せたかもしれません。

本当に辛いときに「助けて」って言える自分だったらよかったのにな、と思います。

親にも本当の気持ちは伝えられませんでした。

ずっと「現状維持が一番安全だ」と信じていたんです。

価値観は、今目に映る景色を通して育まれる

今になって思うと、自閉症の父の影響が大きかったんだと思います。

父も「現状維持が一番安全」という考えを持っていて、新しいことにチャレンジすることを避けて、毎日同じルーティンを繰り返してました。

人それぞれ価値観が違うことを理解できず、他人にも興味がない。

友達もゼロで、86歳の今もそんな生活を続けています。

私は小さい頃から叱ることをしない父にべったりだったので、その影響は大きかったと思います。

父と似た考え方を持って生まれたのか、それとも後から植え付けられたのか…となると後者だと思います。

「親は絶対なわけで、間違ったことを教えるわけがない」って信じてたので、自然と親の価値観が自分の価値観になっていました。

だからこそ、親が子どもに見せる行動、環境がどれだけ大切かを今になって感じます。

子どもにとって、親の見せる姿そのものが価値観になってしまうんですから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA



reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。